M1ヘルメット 初期型 フレシキブル ベイル アウター & プラスティック ライナー
大昔、戦艦ウィスコンシンの倉庫から出てきたとかいうデッドストックのM1ヘルメットが出回った。
前回のコメントにSchutze600さんから頂いたネタだ。
勿論というか当たり前というか・・・僕も買っていた。
ただ価格はその後の後悔につながるので、すぐに忘れることにしているが結構高価だったかも(笑)
時期的には30年くらい前だった気もするが・・・
ただ、ウィスコンシンの話はマユツバだといった話も当時聞いた気がするが・・・信じるものは救われるのである。
調整用のバックルにはODのものと黒染めのものがある。
写真のものは黒染めのタイプだ。
固定ベイルからモディファイされたものもあるようだ。
勿論これは違うけどね(笑)
プレス加工で造られているようだ。
このタイプは第一次大戦時のM1917A1ヘルメットから使われている。
内側にも微かに見られるので重ねて保存されていたのか・・・間に紙を挟んでいたような感じもする。
今は素晴らしいリペア品があるのでこの辺の管理の跡が”当時モノ”を感じさせてくれるのが不思議だ。
さぁーて、まだまだ続くヘルメットシリーズだが、テッポー好きの人には辛いだろう・・・が、堪忍してね(笑)
シシリー島上陸作戦(Operation Husky)後の1943年10月25日、米第45歩兵師団第180歩兵連隊第1大隊の副司令官、リード(Reed)大尉が書いた報告書。以下、和訳。
・ヘルメットライナーの革チンストラップによる犠牲者
我々には、爆撃や砲弾の爆発にさらされながら、厚いウェブのヘルメット・チンストラップを兵員が着用した結果として、首の骨折による犠牲者は1人もいなかった。しかし、我々には、ライナーの薄い革のチンストラップによる数名の犠牲者が出た。厚いストラップをヘルメットの後部で締めることを維持せよというのは、第7軍の命令である。しかし、我が多数の兵員達は、あごに薄いライナーストラップを着用していた。いくつかのケースで、ヘルメットが吹き飛び、チンストラップが、救出されるか、もしくは、自力で立ち直る前に兵士を窒息させた。彼らは、脳震盪で意識がもうろうとなり、気管を切断したストラップを緩めることができなかったと思われる。我々は、実際このようにして6名を失ない、彼らの体には負傷の跡はなかった。その後、我々は、この大隊においては、ライナーストラップを切断した。
シェルのチンストを後ろで留める命令は、一部では1943年10月には出ていたようです。
ここで気になるのが、ダースベーダー・・・いや、ドイツ軍のヘルメット。首を守るネックガード付きで優れたデザインとして米軍のフリッツヘルメットのデザインにも参考にされたらしいですが、前方からのブラストは、ネックガードの部分がもろに受けたんじゃないですかね?恐らく、首の骨折は米兵の比ではなかった気がします。当時のドイツ兵は日本兵と同じく、人間というより戦うための機械という意識だったでしょうから、死因の分析がなされることもなかったんじゃないですかね?
さすがイロイロとご存じですねぇ!素晴らしい!
そうです不思議なのはドイツ軍のヘルメットなんですよね。
前からの爆風は米軍より受けやすい気がするんですよね。
まぁ戦闘で死んだ人は顧みられなかったのでしょうか?
アメリカの戦争映画やTV「コンバット!」なんかでは新兵の表現の一つとして使われていますが教練では教わらないんですかねぇ。
もうジジイなんであまり出すものはありませんわ(笑)
やっぱ買いましたかぁ!
僕は渋谷の店で買ったか本店で買ったか覚えてないんですけど。
幾つも並んではいませんでした。
そう言えばマッシュで未使用箱入りのタンカーヘルメットも買ったなぁ(予告)
軍装はやはり”本物”を知ってから・・・がイイですね!
貴殿も購入した!やっぱね!
当時、こんな価格のを喜んで買うのはアホの俺くらいと思っていましたが・・・
しかし、某店でも大量の買い付けを見るにつけ人生のはかなさを感じます。
どんなに素晴らしいものを所持していても何時かはゴミ・・・
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
中途半端に歳を取るとやり切れませんね。